嫌われる勇気が日本に定着しない理由
嫌われる勇気という書籍はバカ売れして、シリーズ累計世界で1000万冊以上売れてるようです。
日本でも300万冊以上売れています。
私が普通の整体師をやめた理由の一つは、嫌われる勇気が広まって、みんなが生き方を変えられるようになれば、肩こり腰痛の人はほとんどいなくなって、整体は必要が無くなると思ったからです。
でも、日本人は今も変わらず嫌われたくないを手放せずにいます。
私も人に嫌われたいとは思っていないのですが、自分らしさを手放してまで人に好かれたいと思いません。
そして、みんなと意見を合わせないといけないと強制されることはまっぴらごめんと思ってます。
日本人が嫌われる勇気を持てないのは、教育レベルで、協調性、連帯責任などで、人と異なることに否定的な感覚を植え込まれているせいだと思います。
みんなと一緒なら安心、安全。
元々の日本人にも村八分みたいな言葉があるように、協調性の文化もあったと思います。
しかし、それは完全一致していないといけないとかではなかったと思うのです。
日本は宗教がない国と言われるけど、そうではなくて、八百万の神の国だと思うのです。
一般的な宗教は一神教です。
一神教の場合、教えがあるので、これが正しいというものがあるのです。
それに対して、多神教の場合、唯一の正しさがあるわけではないのです。
日本の神様は完璧な存在ではないのです。
失敗もするしズルいこともする、きわめて人間臭いのです。
そういう不完全なもの同士、調和をするのが日本の社会だったのです。
今の教育は、唯一の正解を叩き込み、こうあるべしという枠に押し込むのです。
その枠からはみ出た子は発達障害などと名前を付けられて薬漬けにされるのです。
管理教育から管理社会へと進んでしまったから、人と異なることへの恐れが叩き込まれているのです。
生きづらい世の中になっているから、子供の自殺も世界一なのです。
人間としての哲学を学べるような教育に変えるべきだし、大人は自ら学び直す必要があると思います。
腰痛肩こりをなくしたければ、人生哲学を持たないといけない。
自分らしい生き方を社会と上手く調和できれば、健康にもなれるのです。