痛みを取ることも大事だけど、もっと大事なこと
痛みを取ることも大事なことだけど、もっと大事なことは、不安を取ること。
痛み自体も問題だけど、痛くて日常生活に支障があるのは不安が元だったりするのです。
堪えられない痛みかと言うと、耐えられないわけではないけど、酷くなったらどうしようという思いがあると、手を普通通りに使えないんですよね。
だから、不安があると、今は痛くなくても痛くなるのが嫌だから、なるべく使わないようにしようとしたりするのです。
痛くないからOKではなく、痛くならないようにしてしまう。
私の施術を受けて、良くなっていく人は、良くなる前に、怖さが無くなっているんですよね。
恐怖心を乗り越えた人は、その時点で、生活が大分楽になります。
どうせ痛くなってもケアすればいいし、と思えば動かすことへのためらいが無くなります。
動かすことで痛みが軽減するのが分かれば、もっと動かすことへの不安が無くなります。
でも、不安がある人は痛くなくても、痛みを恐れているので不便なままなのです。
障害は不便だけど不幸ではない。
そんな言葉を聞いたことがあるのですが、それに似ているのかなと。
自分の性格でもダメなところはあるけど、それが問題だと思えば治療対象になるけど、本人が気にしていなければ問題はないみたいな。
発達障害の話なんかがそうですよね。
長所と短所は紙一重。
行動力があることは長所とされるけど、行動力がありすぎると落ち着きがないとか、多動と言われたりしますよね。
慎重とのろまとか。
明るいとうるさいとか。
痛みはあっても、支障が無くなれば、問題はなくなっていたりします。
私は痛み取りも大切にしているけど、それ以上に恐怖心を取りたいと思っています。
痛みが無くなったのに、ずっとサポーターをつけている人とか、たまにスポーツの世界では見かけますが、サポーターをつけている人は、周りから見ると、痛めている人なんです。
痛みがあろうがなかろうが、サポーターをつけている人は痛めている人なんです。
ある意味、痛めてますアピールをしているようなもの。
よっぽど痛いか、痛めていることに気付いてほしい人と言う認識です。


