TFCC損傷について思うこと
高校生の時、自分は手首を痛めた。
はたからみても、腫れてもいないし折れてもいないので、この痛みを理解してもらうのは難しいと思った。
痛みがひどいと、何もしなくても痛かったけど、ちょっと落ち着くと、大げさに包帯を巻いたりテーピングをしたりしなくても、動かさなかったら痛くなかった。
でもある領域まで動かすと激痛が走った。
このビキッと来る感覚はぎっくり腰になった人が身体を前にかがめるときのようなものだと思う。
何か神経に触ったのではないかと思うような感じだった。
見た目に出ない分周りに理解してもらえなくて辛い思いをした。
同じ痛みを経験した人も、周りにはいなかった。
見た目になんともなくても、包帯やテーピングを巻いていれば一目見て怪我をしているとか、何かがあるということを示すことが出来た。
大丈夫?と言われたかったのではない。
痛くて何かが出来ないときに、ただ出来ないのではなく、理由があるというのを言わなくても分かって欲しかった。
いちいち「手首を痛めていて、○○が出来ない」というのが言い訳臭く感じられて自分から言うのは嫌だった。
その当時自分の手首はどこの病院に行っても、
「捻挫でしょう」「腱鞘炎みたいなものでしょう」「少し靭帯をのばしたのかもしれないね」
とだけ言われて、何も対処してもらえなかった。
いや、多少はしてもらってはいたけど、何も変わらなかった。
何度も病院に行くと、「テニスをして痛むのならテニスをやめなさい」と言われるだけだった。
テニスを出来るようになりたいから病院に行くのであって、テニスをやめるつもりなら病院なんて行かなかった。
ただ、何度病院に行っても、他の整体などに行っても変わらなかった。
その時今のようにネット社会でTFCC損傷なんていう症状名を見ることが出来ていたら、何か違っただろうか。
きっと「これこれ!この怪我だ!」と、見つけたときにはすっきり感があったと思う。
こう動かすと痛いなど、同じ症状が書かれていて、場所も動きも一致するだけで仲間を見つけたような、共感の気持ちだと思う。
でも、治らない、治りにくいという文章を見たら、やっぱり愕然としたと思う。
今自分が持っている技術をあの時の自分にやってあげられたなら、泣いて喜んだと思う。
というより、あの時の自分にやってあげられたらと思うと涙が出てくる。
部活をやめるとき、悔しくて涙がにじんだのは今でも思い出せる。
あれからもう20年近い月日が経ってしまった。
それなのにまだTFCC損傷は厄介な怪我として扱われている。
筋肉のケアで治せることを知った今の自分からすると、なんで今まで誰もこれを治せなかったんだろうと思う。
どれだけ沢山の治療家、理学療法士、手術をする医師が関わったのだろう。
自分は運よく?自分で経験して自分で治す技術を磨くことが出来た。
ちょっとの効果は誰でも出せても、完治までさせるのは匠の技なんだと思う。
沢山の出張施術をこなしてきたけれど、この技術を広めるには一般の方が治っていっても、なかなか広まらないという気がしてきた。
アスリートや有名な人が治らないと、目立つことが出来ないように思う。
一般の人が何人良くなろうと医学がこれを学ぼうとはしない気がする。
手術という方法ではないので、医学的にはおいしくないのだと思う。
医学が無視できなくなるくらいまで結果を出そうと思う。
手首を痛めた(小指側)アスリートもどんどん治していこうと思う。
もちろん表に出せないアスリートも沢山いるので、守秘義務を守りながら。