たわけもの
とある書籍を読んで知った、竹田和平さん。
2016年に亡くなられた、日本一の大投資家の方の言葉にこんなものがありました。
「たわけもの」
語源としては、戯ける者=ふざける、バカなことをする者
というのが正しいようですが、他の表現もあるそうです。
田分け者
田分けと言うのは、子供たちに財産として田んぼを分け与えることを言うそうです。
そして、この田分けをしていると、子→孫→ひ孫と代が進むうちに、それぞれの面積が小さくなり、少量の収穫しかできなくなり、食べていけないことで家系が衰退する。
このような愚かなことをバカにして、たわけ者という言葉が出来たという説もあるようです。
そして竹田和平さんは、自分に余裕がないのに自分を犠牲にして人を助けようとすることはダメだというようなことを書いてあったのです。
どこかで見たものなので、正しく表現できていないかもしれないけれど、そういうことでした。
私は自分で、田分け者だな~と思ったのです。
あっちこっちの人を助けようとして、自分が一番苦しくなっていました。
手術なんてしなくても治るんだ!
って声を大にして言っていながら、一回じゃ良くならない、ちゃんと続けて受けてほしいと言いながら、最適な施術のペースで施術を行うことは不可能でした。
良くなるのはあくまでも、ある程度は自己ケアが出来ないとダメという不確定要素を含んでいるのでした。
だから良くならない場合、ケアが出来てないからっていう言い訳臭いことを言わなきゃいけなかったのです。
うまくケアが出来ない患者さんを責めているわけではない。
言い訳に聞こえるかもしれないけど本当のことだし。
でもちゃんとケアを受けて治せるペースで施術も提供出来ない。
自分は無意味なことをしているんだろうか?
でもちゃんと良くなっている人もいる。
でもなぁ…
そして、時々聞こえてくる、
「施術を受けて、その場では楽になったけど、結局すぐに痛くなったから、この筋肉のケアでは治らないと思った。」
という声にモヤモヤするのでした。
なんで二度、三度と受けてから判断してくれないんだろうって。
でもその二度三度って受けることをためらう気持ちも分からなくはない。
そもそも半信半疑なんだろうし、不安なんだろうし。
ちゃんと良くなって、感謝の声も沢山届くのに、救われなかった人のボヤキに反応してしまうのです。
すべての人は治せないにしても、手首の小指側の痛みで悩んでいる人の大半は治せるものです。
この動きをしたら痛いというものなら十中八九。
手術じゃないと治らない人は一割にも満たないと思います。
私が今まで東京に来なかったのは、松山が好きだからです。
地元はとてもいいとこなんです。
友達もたくさんいるし、山も海も街も身近にあって、アウトドアが好きな自分には最高の場所なんです。
出張スタイルだったのは松山在住を守りたかったのです。
でも、毎週出張していたら結局遊ぶ時間は無くなるし、出張のたびに赤字の恐怖との戦いに疲れ果てたのです。
そして松山は時々遊びに帰ればいいやって思ったら、東京でやってみようと思ったのです。
東京で場所を決めてやれば、もう治るかどうかはその人がちゃんと体に向き合うかどうかだけです。
私は安心を提供することに集中すればいいのです。
手首の痛みが良くなったあと、他の部位の痛みの相談を受けることもありますが、決まった場所でやるならばその他の施術も出来るのです。
さて、やりたいことは定まってきたけど、どこでやるか具体的な案はありません。
どこか整体院の居抜き物件を探すか、隠れ家的に働けるマンションみたいなところを探すか。。。
たわけものなのでゼロから店舗を作るような余裕もないという。。。
誰か助けてください(笑)