年のせいにしないで
年のせいというセリフが嫌いです島本です。
年のせいというセリフは、だいたい誰かの逃げ道なんです。
本人が自ら言う場合は、努力とかから逃げるための言い訳。
整体師や、病院のドクターなどが言う場合は、
「私は力になれません」
と言えないけど、諦めてほしい時の言い訳。
もちろん年を考えて不可能になることもあります。
例えば私が今から、バドミントンのオリンピック選手を目指すというのは年を考えて、やめとけと言われると思います。
私も同感です。
でも、だいたいそんな話じゃなくて、ちょっとした体操が出来なくなって、
「もう年だから」
って言い訳してたり。
やりたくないことは、「年だから」とかの言い訳なんてせずに、やりたくないって言えばいいだけのこと。
年のせいにしたら、そこから先に未来はないのです。
どんどんできなくなっていくんです。
年のせいというのは実際は年のせいではなく、
【何かをやらなくなって、年月が経ったせい】
です。
昔は逆上がりが出来てたのに、出来なくなっているとか。
昔は横断歩道を走って渡りきるくらい平気だったのに、今は息が上がって辛いとか。
昔は前屈で床に手のひらがべったりくっついていたのに、今は届かないとか。
これらは、単純に昔は出来たけど、今は出来なくなっている。
そういう動きをやらなくなったから出来なくなるのです。
正座が出来なくなる。
それは年のせいではなく、膝を曲げる習慣がないから。
曲げきることをしない膝は曲がり切らなくなる。
結果正座が出来なくなる。
正座が出来ないくらい硬いのは動かすのが少ない証でもあるから、膝の痛みとかも出てきて、もっと正座が出来なくなるのです。
軟骨がすり減るとか、それは呪いだから。
洗脳されているだけ。
痛みを年のせいと思ったら、もうそれ以上動かすことはなくなるから、じわじわ悪化するのみです。
痛くて動かせないなら、痛くなく動かせるようにすればいいだけです。
それが出来ない施術家や医師が、
「もう年だから無理せずに」
とか言って諦めさせるんだ。
そんな施術家にはなりたくない。