自分でコントロール出来ているか
筋肉は自分の意思で動かせる。
だから、筋肉が原因の痛みというのは、痛みを出したり出さなかったり、ある程度自分でコントロールできるのです。
それに対して、コントロールできない痛みというのがある。
例えば片頭痛とか、突然現れて、そのうち治ったりします。
こんなの自分でコントロールできないです。
「今から片頭痛の痛みを出してください。」
とか言われても無理ですよね。
それと同じように、手首の痛みも、自分でコントロールできるかどうかは大事なポイントなのです。
こうやったら痛む、ここまでは平気、ここから先は痛む、というように。
完全にコントロールはできなくても、ある程度でもコントロールできるのか。
それともほとんどコントロールできないのか。
治る治らないは別として、痛みが出る出ないはコントロールできるのです。
私が力になれる手首の痛みならば。(TFCC損傷と診断されてても)
これ、痛みをコントロールできる・できないの話なんだけど、なんとなく
「自分の人生を自分でコントロールできているか。」
「自分の痛みを自分でコントロールできているか。」
が関連しているんじゃないかなって思ってしまうんです。
痛みのコントロールができる人は、人生も自分でコントロールしてる気がする。
痛みのコントロールができない人は、人生のコントロールもできていないのかもしれない。
周りの人の期待に応えてばかりで、自分の意思で動けてない
自分ではどうしようもない
自分が我慢すれば丸く収まる
そんな風に、自分でコントロールできない世界に居続けている。
嫌だなと思ったら去れるのに。
自分らしくいられないなら、自分らしくいられる場所を求めて移動できるのに。
会社とかでも、自己主張できるところはしたらいい。
自分ひとりのわがままを言うんではなく、自分がその会社でどう役に立てるかを考えるということ。
自己主張が許されないなら、機を見て去るか、機を見て革命を起こすかすればいい。
体のことで言うと、自分でコントロールできない領域というのが、自律神経がやってくれる領域です。
食事、運動、睡眠などの基本的なことを健康的にこなしていれば、体はそれを邪魔しないように、いいように調整してくれるのです。
無理が来てるのに本人が気づいていないから、体がそれについていけなくなって病気になったり不調が起きたりするのです。
言うは易し、行うは難し。
あるお客さんと話すんですけど、ここで書いていること、私が全部出来るって話じゃないですからね。
時々、ここに書いていることは自分自身に言い聞かせているときがありますからね。
でも、私は肩こりとかないので、気づかいとか我慢とか、肩がこるような生き方はしていないようです。
どちらかというと好きなことを言いすぎて、いろんなところで摩擦を起こすタイプでしょう。
ただそれが組織では許されなくても、何かの常識を打ち破るきっかけにもなると思ってます。