挫折
私は過去、整体師として一度大きな挫折をしています。
松山の店舗を閉じたのは、決して経営が成り立たなくなったせいではありません。
開業してから売り上げは毎年ずっと右肩上がりでしたから。
お店をたたんで数年経つ今でも、当時のお客さんと会いたい、話したい、施術したいって思います。
私の挫折は、東京でカイロの学校に通って、学校の付属院で修行しているときに起こりました。
リラクゼーションサロンで1年近く、人様の体をケアする修行をした後、学院直営の整体院にスタッフとして入りました。
リラクゼーションサロンで、経験は浅いながらも、リラクゼーションサロン閉店する最後の頃には指名の数がトップクラスになっていました。
そんなこともあり正直天狗になっていたと思います。
リラクゼーションのお店は、来たい人が来たいタイミングで受けに来るとこ。
整体院は何かの症状をよくするために、来院を促さないといけなかったのです。
この点が私は下手でした。
整体院に勤めても、自分の担当のお客さんが思ったように増えませんでした。
技術や知識などにはある程度の自信があったのですが、結果が出ませんでした。
そうやって試行錯誤しているうちに、当時の院長が独立開業するために、院長をやめるというのです。
副院長も先輩も、院長にはならないと断ったそうです。
そして、院長にならないか?という話は最終的に私に転がりこんで来たのです。
「誰かが院長にならないといけない。
ほかのスタッフの人が残ってくれるなら、自分がやっても何とかなるんじゃないか?」
そう思って院長を引き受けたのが運命の分かれ道。
その整体院に私が入ったのが8月末。
院長にならないか?という話が来たのはその約4か月後の年明け。
院長になったのは、4月。
私が25歳の時。
どう考えても経験不足。
そして、そこに追い打ちをかけるような現象がいくつも起こり。
院長が抜けた後、副院長が去り、先輩が去り、途中で雇ったスタッフをクビにする事態も起こり。。。
数か月の間で4人が去ったのです。
お店の空気はガラリと変わり、もともといたお客さんもどんどん去っていきました。
その頃私は暗闇の中にいました。
自分で自分を責めているのに、他の人からも責められる、人格否定される。
風邪を引いた後、咳だけ残り、咳き込むことでまたお客さんからクレームももらい、病院に行っても咳は止まらず。
首は痛くなり、腰も痛くなり、左足のしびれも出てきました。
周りの院長などに相談に行ったりするも(これも自発的というより、上からのお達しで)、自分の考えと違ったりして、でもそれがダメだと否定され。
最終的には翌年の春にはギブアップをしました。
経営の赤字は途中からほかの院の院長が肩代わりをしてくれたとはいえ、途中までは学院から借金をしていたため、私はただただ借金だけ残して、院長という座を引いたのです。
その後、他の院から新しい院長がやってきました。
私はもうその院から去りたい気持ちだったのですが、借金を肩代わりしてくれた院長への恩もあるため、そのままスタッフとして残ることになりました。
そして、空気の悪くなっていた人通りの少ない古い店舗から、人通りの多い場所に新しく店舗を新装開店という形でオープンしたのです。
自分が経験不足のふがいない院長時代を支えてくれていたスタッフとは、今でも交流があります。
去っていった先輩というのも、実は同期でしたので、その方も今では仲良くしています。
苦しい時代だったとはいえ、その当時でも楽しく通ってくれていたお客さんもいます。
いろんな人から人格否定されたり、屈辱的なこともあったけど、それでもどうにか楽しく乗り越えようとしていた。
せっかく来てくれているお客さんもいるから頑張らないとと。
無理やりポジティブになろうと頑張った。
でもどうにもならなかった。
今になって思うけど、無理なものは無理だった。
その後いろんな方と話す機会があったけど、あれはひどかったねと、ねぎらいの言葉をもらうこともありました。
あそこで私がもう少し、我慢して耐えようとしたら、私は自殺までしていたかもしれません。
友達に相談出来たり、愚痴を吐いたりしながら耐えていました。
でも、苦しい環境はあまり耐えてはいけないのです。
自分の意思で始めたものと、自分の意思で始めたとはいえ、覚悟のできていないものはベースが違うのです。
咳が結局3~4か月続きましたが、ギブアップしたら、気が付いたら治っていました。
言いたいことも言えずに必死に飲み込んでいたから、のどに詰まりを感じて嗚咽するほどの咳が出ていたのかなと、今なら思います。
夜になると、のどの気持ち悪さで咳が出るのです。
首が痛くなったり、腰が痛くなったり、足が痛くなったり。
いろんなものが責任を手放してしまえば楽になれたのです。
環境は自分で変えられる。
環境を変えても何かの症状が続くなら、生き方です。
生き方も環境も自分で変えようと思わなければ変わらないのです。
辛い苦しい思いをしないと、人は生き方を変えようとはしない。
いろんな現象が起こることで、自分が悪いのか?どうしたらいいのか?と考えるのです。
やりたくてやっているのか、やらなきゃいけないと思ってやっているのか。
出来るかできないかではない、やりたいかやりたくないかだ。
ポジティブでいられるのか、ポジティブを装うのか。
愚痴不満泣き言、出さないようにするんじゃない、そういうものを感じなくていいように変わらなきゃだめ。
我慢したら我慢が続くだけ。
不幸な人は忍耐強い、幸せな人は忍耐強くない。
自分を虐待するのはやめましょう。
こういう経験があるから、痛みが治らない人に、
「治らないほうがいい痛みもある」
「環境を変えないといけないこともある」
って話すんです。
出来なくなることが悪いこととは限らない。