コロナパニックを考える
以前にも書籍の紹介をさせていただいた森田先生が、決死の覚悟で文章を書いてくれていた。
医療経済の嘘←紹介した書籍
医療はビジネスになっている←過去の紹介記事
これはシェアしない訳にはいかないと思った。
↓これが今回の記事です。
もうタイトルがすでに過激。
内容は本当に身につまされる思いがする。
突然死ではなく、だんだん死が近づいてきたとき、自分に何が待ち構えているのか。
終末期医療を見守ってきた森田先生は、私とは比べものにならないほどの思いが溢れたのだと思う。
今回のコロナの騒動によって、恐怖心を煽れば人をコントロールすることが、いかに簡単か証明されてしまった。
人の命を盾にすれば、人の行動は制限させることが出来る。
危険な可能性を排除するためには、多少の犠牲はつきものという感じで。
記事の中で描かれている、お年寄りの命を守るために行われてること。
途中で目を背けたくなるような描写だった。
危険を排除する医療の先には、こんなことが待ってる。
介護をしてる人、医療機関の人もこれでいいなんて思っていないはず。
でも、リスクを避けていった結果、このような医療が待ち構えているのです。
このままではいけないと感じながらも、医療の現場だけでどうにかすることはできないのです。
だから森田先生は警鐘を鳴らし続けてくれてるのだと思う。
外を出歩くだけで、殺人者のような扱いを受けることがある。
そして、外を出歩くお年寄りにも同様に、いやそれ以上に厳しい目を向けられていたりする。
死なせないことが最優先なのか。
生きたいように生きることが大切なのではないか。
リスクを受け入れない限り自由は奪われ続ける。
自粛さえすれば、感染症を乗り越えられるなんてことは幻想だと思う。
医療現場の混乱を避けるために必要なのは、過剰な自粛ではなく、一人一人のできる範囲での感染症対策と、家で寝ていようと思えるだけの心の余裕だったはず。
心の余裕を失った人たちは、家で寝ているということが出来なくなってしまった。