辛い努力は裏切る
努力をすると、努力のおかげで今の状態になったと思ってしまう。
努力をすると、思うような状態にならないとき、努力が足りないからと思ってしまう。
実はやらなくてもその状態だったとしても、努力をしたことで、そのおかげになる。
効かない整体でも、通ってるうちに良くなれば、「おかげさまで」となる。
私は、美脚と言われることがある。
けど、努力して美脚を作ったわけではない。
小顔と言われることもあるけど、小顔になる努力もしたことない。
言ってしまえば手首の痛みに対して、革命的な技術を手に入れたのも、努力のおかげではなく、
たまたま私が手首を痛めていた。
たまたまトリガーポイントに特化したカイロの学校に通った。
たまたまバドミントンを始めて、痛みに向き合った。
たまたまケアの素質があった。
努力が無駄とは言わないけど、ありのままの自分を受け入れた方が苦しみは少なくて済むかも?ということ。
私なんかで言えば、デコも広がり髪も少なくなってきたから、隠す努力をするのではなく、そのまま受け入れて坊主です。
これを受け入れていなければ、毛生え薬を買い、デコの見えない髪型をし、風が吹くことに怯えた日々を過ごすのです。
人との付き合いもそう。
好きな人が好きと言うから、と、本当は好きじゃないものを、好きと言って合わせると、それがずっと続くとしんどくなる。
いつか不満が爆発して、取り返しのつかない溝ができたりする。
嫌なものは嫌、好きなものは好きと本音で生きて、それを良いねと言ってくれる人と関わった方が何倍も楽。
子供の頃の友達が居心地がいいのは、子供の頃はお互いにわがままに生きてて、それを承知の上で友情が出来てるから。
本音で生きることは大変なことも沢山あるけど、生きること自体は楽になる。
嘘をつけば、嘘をつき続けなければいけなくなる。
苦手を努力でカバーし続けたら、いつか耐えられなくなる時がくる。
自分は極力嘘はつきたくない。
こういうところが私の不器用さ。
さんざん努力は無駄、みたいなことを言ったけど、やりたいことの努力はやったらいいんですよね。
だってやりたいんだもの。
やりたいことの場合、努力という感覚もないとは思うけど。
女の人ならキレイになるための努力、好きでしていれば辛いとは思わないはず。
やらなきゃと思ってやるのと、やりたいと思ってやることの違いを言いたいのです。
苦手克服の努力はいらないかも?と言いたいのです。
本当は嫌なのに、無理やり何かをやっていると、我慢しながらやることになるので、他人がやっていないと腹が立つので文句も言いたくなるのです。
こんなことでイライラするなんて、って自己嫌悪に陥るかもしれないけど、怒りを抑える努力をするより、嫌なのにやっていることをやめる努力をしたほうが、健康にもいいし、自然とイライラも治まったりするのです。