自己判断の良し悪し
自分で判断するのは良いことであり、良くないことでもある。
痛みと言う、目に見えないものに関して、本人にしか判断できないこともある。
痛みが軽減したとかしていないとか。
押されて痛い筋肉は、効いていて痛いのか不快に痛いのか。
こういう判断は本人にしかできないものですよね。
一方、経過に関しては本人の判断は誤ることがある。
例えば手首の小指側の痛みだと、日常生活にも支障があるような手首の痛みを感じていた人は、日常生活が平気になったら、
「もう良くなった」
と判断することがある。
でも実際、多くの手首痛を見てきた私の感覚だと、日常生活が痛みで支障があるというのは、痛みの強い時とか、初期の状態。
日常生活には支障が無くなったところから先、より強い負荷がかかっても平気になるまで、結構時間がかかったりする。
そして、強い負荷がかかっても平気なところから、何をやっても痛みが出ないというところまでいこうとすると、期間を計るのも面倒になるくらい評価しにくい。
日常生活がどうにか送れる(痛くなるようなことはしなければ)
と言うのは、まだ全然道半ばなのです。
日常生活は平気(痛くなるようなことをしても)
と言うので、ひとまず気が楽になりますよね。
スポーツが痛くなく出来る(無理をすると時々痛む)
となれば、もうほとんど不安はないでしょう。
痛みを出したくても出せない(痛くない手首と同じ)
ここまで来ると、もう良くなっているということです。
今日来た方も、もう卒業間近なのかな?と本人的には思っていたそうですが、私が施術をすると、まだ全然効くのでびっくりしていました。
自分でケアをしているうちに、あまり効かなくなってくるし、日常生活で痛みを感じることが無くなってくると、もう治ったのかな?って思ってしまうんですよね。
よくある現象です。
自己判断の良し悪しと言っても、ダメだと言っているわけではないですからね。
もうこれで十分と本人が思えば、それまで。
そこから先痛みと付き合っていくというのは、本人の選択でしょうから。
ただ、そのまま痛みが無くなっていくだろう、と自己判断して、そのまま無くならないことに気付いたとき、うちに来にくくなってしまうのはもったいないなと思うのです。