難しい問題
身体の痛みの原因は多岐にわたるのですが、心も関係してしまうからややこしいんですよね。
心が関係してややこしいというのが分かりやすいのが、交通事故による後遺症。
ケガをしたのが、明らかに相手に原因があった場合。
自分は何も悪くないのに、ケガをさせられて様々な場面で支障が出てしまった。
痛い、辛い、仕事もプライベートも制限される。
そんな風になれば、相手を憎む気持ちも理解できます。
ただ、憎しみの気持ちが、体の回復を妨げてしまうこともある。
そして、都市伝説的によく言われるのが、
「交通事故の痛みは、あとになってから出てくる」
これ…、話をややこしくします。
首とか腰とか、胴体の痛みは自律神経の影響を受けやすい。
ストレスが多くなると、不快な症状が出やすいのです。
事故の後の相手の態度が悪いとか、保険の支払いでもめるなどあれば、不快感と共に体調も変調をきたしやすくなる。
さらに厄介なのは、保険で支払われるからという事で、手術が安易に勧められやすい。
その結果、手術の跡も出来たり、手術後改善が無かったりで、さらに苦労が増えたり。
事故をした直後は痛みを感じなくて、あとから感じるとしても、事故が原因で出る痛みは一週間以内に出るはずです。
それ以降になって初めて出た痛みは、事故当時に痛めたものではなく、また別のものです。
そんなこんなで、被害者になると痛みが長引きやすいのです。
何かのせいにしたほうが、納得しやすいという時、事故のせいにしやすいのです。
でも、そんな負のループから抜け出せるのは、事故の補償が切れて、もうどうやっても加害者に求めることが出来なくなった後だったりするのです。
訴えても仕方がない、くよくよしても仕方がないとなった時、こだわりから解放されて、痛みを忘れようと前向きになれたりもするのです。
人を憎むことで、本人がより一層苦しむ。
事故だけではなくてもありますよね。
空と君とのあいだに
という中島みゆきの歌の歌詞に、
”憎むことでいつまでも あいつに縛られないで”
という節があります。
不快な感情を抱えている限り、幸せな気持ちになれない。
私も人並みに、過去の辛い思い出もあったりします。
人に裏切られたとか、許せない気持ちとか。
でも、そのことにとらわれて暗い気持ちになると、そこから先の人生も暗くなってしまったりする。
人を許すという事は、自分を許すという事でもある。
痛みも病気も、何かを教えてくれているのかもしれない。
そんな哲学的なことを私は日々考えるのです。