オリンピック
オリンピックが近づいてきましたね。
今年開催されるのでしょうか?
最近ネットのニュースを見ていて、心が痛くなるものを見かけました。
私は目を疑いました。
なんでこんなことが言えるのか。
白血病を乗り越えて、これから金メダルを目指して努力している池江選手。
常人には想像もつかないようなプレッシャーの中、必死に結果を出してオリンピックの切符を手に入れました。
コロナ不安があるのかもしれないけど、命を懸けてやっている人にそんなこと言うのかと。。
オリンピックが様々な利権が絡んで、素直に応援できない人もいると思う。
コロナ禍で、そんなことしてる場合か、と思う人もいるのでしょう。
我慢に我慢を重ねて来て、うっぷんがたまっている人も沢山いる。
その我慢のぶつけどころを間違っている。
私は今のコロナ禍は、無駄な我慢のオンパレードだと思っています。
本来なら、本当に必要な対策だけすればいいものを、「対応しています」感を出すためのパフォーマンスだらけになっていると思うのです。
楽しいことは我慢させられ、無駄だと思いながらも対策させられ、やってもやっても感染者が減らないとテレビで煽り続ける。
多くの人がイライラしている。
コロナが怖いと思っている人は、コロナ怖くないという人を非国民だと思っている。
戦時中の隣組や自警団のようだ。
本当に人々を死に至らしめる感染症が広まっていれば、2020年の日本のように、例年より死者数が減少するとか、ありえないのです。
各々が必要と思う対策を取る以外にないはずなのに、他人に対策を求めることが当たり前のようになってしまった。
いのちを守るをスローガンに、他人の生きがいを潰すことが許されるのか。
他人を縛る人は、自分自身が他人によって縛られていることに気付いていない。
自分が縛られているから、縛られていない人が許せないのです。
自分が他人から縛られることに抵抗できないストレスを、他人を縛ることで発散しているのです。
Noを言えるようにならないといけない。
自分がNoを言うことを許可しないと、他人のNoは許せない。
自分の身は自分で守らないといけない。
自分の幸せは自分が決める。
自分が不幸だからと言って、他人を不幸にする権利はない。
みんな、もっと自由に、もっと寛容に。
自分の人生を生きていないから、他人の人生に口出しするんです。
自分を大事にして、他人も大事にしていきたい。
悲しい負の連鎖が早く止まりますように。