良くなる人は良くなる
よくなると思えば良くなるし、良くならないと思えばならない。
靭帯損傷していると思っていたら、良くなるものも良くならない。
自分でケアができると思えばできるし、できないと思えばできない。
出来るか出来ないかよりも、やるかやらないか。
うまく出来ないなら、どうやったら出来るか。
出来るようになるには何が出来るか。
今日は久しぶりの休日出勤で、施術をしてきました。
今日が二回目の方だったけど、もうほとんど痛みがなくなっていて、残る痛みは重いものを持って高いところに置こうとすると痛いということでした。
以前は手をつくとか、手首を捻るとかできなかったのに、もう今は平気になっていた。
ケアは最初からある程度うまく押せてはいたけど、全然完ぺきではない。
でも、ケアの出来が万全じゃなくても、動かすことへの怖さが無くなって、ばんばん動かしていたそう。
沢山動かしたことが、筋肉を張り付かせないというのに役だったんじゃないかな?と思いました。
痛くなったらどうしよう?
があると、怖くて動かせないだろうから、自己ケアを上手になりましょうってなるのだけど、動かせる人は、痛くてもこのくらい平気って動かせるので、自己ケアがそこまで上手じゃなくても動かせちゃうんです。
良くなる人とそうじゃない人って、結局は頭の中なんじゃないかと思ってしまう。
良くなっていった人たちで、動かすことを怖がっている人はいない。
どこかのタイミングで恐怖心が取れて、動かせるようになるか、初めから「動かしていいんだ!」ということで動かしていたか。
結局、動かさないようにするということで、自分自身に、怪我をしていると言い聞かせているんですよね。
バドミントンをしている仲間でも、痛めていると思っている人はサポーターやバンドやらつけている。
ある人は、今までつけていたテーピングが無くなって、テーピングをつけなくなったら、あまり気にならなくなってきたと言ってた人もいる。
周りから見ても、何かをつけていると、痛めている人という認識になるけど、何もつけてなければ痛めているとは分からなかったりする。
痛みの原因も分からずケアも出来ていないのに、痛くないフリをするのは無理しているのだから違うと思う。
でも、原因も分かって痛みも取れてきているのなら、なるべく早くサポーターやテーピングを外すことをお勧めしている。
毎日テーピングやサポーターをすることで、「自分はケガ人」と洗脳することになる。
ちょっとやそこらの痛みは気にしない。
自分の体を信頼する。
自分の体はボロボロだと思っててもいいことなんて一つもない。
どうせ治るし。
寝ているうちに体を治してくれてありがとう。
くらいの気持ちが大事なんじゃないかな。