守るべきは尊厳
命を守ると言えば聞こえはいい。
けど、「命を守る」はやりすぎると人としての尊厳を踏みにじることになる。
死なないためには、リスクを減らす必要がある。
立って歩けば、転んだり倒れたりするリスクがあるのだから、歩かせないようにとなる。
口からものを食べていれば、誤嚥性肺炎のリスクを増やすことになるから、胃に穴を空けて、直接食べ物を送り込むほうが安全ということになる。
多くの人と接触していれば、ウイルスや細菌が入ってきやすくなるから、面会謝絶にしたほうが安全ということになる。
命を守るというのはそういう方向に向かいやすい。
それはある意味、家畜のように管理された生き方という事。
命を守ることも大事だけど、それ以上に大事なのは人の尊厳を守ること。
会いたい人には会ってもらったらいい。
行きたいところには行けばいい。
命が長く続くこと以上に、自分らしく生きることの方が大事。
自分の意思を無視して、長生きさせられるのは、生き地獄です。
どんな最期を迎えたいかを考えることは、どんな生き方をしたいかということにつながる。
死を考えることは、何も人生の終わりになってからやることではないと思う。
日本が安全な国になってからは、若いうちに死なないとどこかで思っている。
だから、命について真剣に考える人が少なくなっている。
来年自分が生きているかどうか分からないという心境を考えることもない。
来年自分が生きている保障もないということが分かれば、「我慢の一年」なんて他人に強いることなんかなかったと思う。
ましてや、子供たちに我慢を強いるなんて、出来ないと思う。
みんなそれぞれいろんな価値観を持って生きている。
コロナ禍において、私はみんなに真剣に考えて欲しいなと思う。
どうすれば早く子供たちに自由を取り戻せるのか。
高齢者がこの世から去ろうとしている瀬戸際に、コロナ禍だからと他人と会うことを制限していることは誰のためなのか。
出来ることと出来ないことがあるが、今のコロナ禍は出来ないことをみんなでやろうとして、上手くいっているときは対策のお陰、上手くいかなくなると、みんなの気が緩んでるせいと言われている。
戦時中の欲しがりません、勝つまでは。
と同じくらいみんなに我慢を強いている。
竹やり訓練をみんなでしたそうだけど、何の意味があるのか?と疑問を呈した人は、非国民と罵られたそう。
今も、マスクを着けずに生活していれば、非国民扱いされる。
「つけて何の意味があるのだ。」
と、いかに無駄か語ったところで、返ってくる言葉は「ルールだから」「守れないなら利用するな」
意味があるかないかではなく、みんながやっているのだからお前も従えという事。
意味がないなら、みんなで無駄なことをやっているのだから、やめたらいい。
無駄なことを他人に強要する辺り、尊厳が無いのです。
何も死ぬ間際だけのことではなく、人として人権とか、思想の自由とかある。
世界一感染対策を強制でもないのにやり続けている日本が、世界一の感染者大国になる意味を、もう少しみんな議論したほうがいいのではないかと思う。
仕方がないの一言で逃げずに。
尊厳とは、一人の人間の存在を尊いものとして尊重するということです。
全体主義というのは、人の尊厳を奪うものです。
自分は今、差別を受ける側ではない人も、いつか自分が差別を受ける側になる可能性があるということを知っていないといけない。