身体は結果
根本的なお話ですが、身体って結果なんですよね。
なんの結果ですか?と言えば、食べた結果であり、使った結果なんですよね。
もちろん生まれた時から体は存在してますよね。
だから、基本の身体はもらってこの世に生まれます。
しかし、もし赤ちゃんが何も食べなければ、肉体は維持できませんよね。
この世を去ることになります。
そして、赤ちゃんはミルクを飲み、食事を食べて身体は大きくなります。
それと同時に、身体を動かしているから、どんどん体が発達するのです。
もし赤ちゃんの身体を縛り付けて動けないようにして、時間を過ごさせたら、動けない身体が出来上がります。
赤ちゃんだとありえないから想像も出来ないかもしれないけど、お年寄りが入院すると筋力が衰えて動けなくなるという話は聞いたことがあるかもしれません。
身体は動かさないと動けなくなるのです。
若い人であっても、ずっとベッドで寝たきりになると、起き上がれなくなるのです。
極端な話でイメージがつかなければ、運動しないと筋力が無くなるくらいにイメージすると分かりやすいですよね。
井上尚弥選手とボクシングをすれば、私は120%ボコボコにされると思いますが、一年間ベッドで縛り付けて筋力が衰え切っている状態でボクシングをすれば、私もおそらく勝てると思います。(そこまでしても、もしかしたらと思わせる井上選手はやはりモンスターです)
なにが言いたいかというと、身体に問題が起きているなら、食べ物と使い方を見直しましょうという事です。
私の施術は、明確に効果が出るのですが、魔法ではないので、私の施術だけで治ることはないのです。
本人が動かさないと治らないし、食べ物が悪ければ、身体の作り替えだってうまくいかないのです。
施術の効果が出る人ですらそうなのだから、施術の効果が出ない人なんかは、そもそも食べ物を疑う必要があるのではないですか?と思うのです。
行動の結果として身体が作られるのですから、行動を変えないといけないという事です。
今まで通りの生活をしながら、今とは違う身体を期待するのは無理な話です。
怪我をするのは事故的なものだったりもするけど、痛めた後安静にしても良くならないのであれば、安静では良くならないという事です。
安静にしても良くならないからと言って、もっと安静にしようとするのはあまり賢くない。
雨乞いの儀式をして、雨が降らないからと言って、もっと雨乞いの儀式に力入れても無駄だと思うのです。
人の信心は自由なので、宗教とか何を信じるかは自由ですが、身体はある種法則的に作られていることは理解したほうがいいと思うのです。
身体は食べたもので作られる。
身体は運動した結果で作られる。