これが正しいという基準を作る危険性
普通ってなんでしょう?
私は身長はおおよそ日本人の40代としては平均くらいです。
平均は普通とはまた違うはずですよね。
昔私が書いた記事が、今でも「いいね」されているものがあります。
などです。
腹筋が出来ない原因は、この記事でのいいねの数は少ないですが、昔ツイッタ―などで救われている人が何人もいてリンクをシェアされていました。
脚を抑えてもらわないと腹筋が出来ないのは、腹筋が無いせいだ!みたいな記事を見かけた(話を聞いた?)ことがきっかけで、私はその記事を書いたような気がします。
言葉を聞いてそうなんだ!と素直に受け取るのではなく、そうなの?と考えたのです。
何かの言葉を聞いて違和感を感じてそのままにすると、学びはないのですが、違和感を感じたらその理由を深堀すると色々なことに気付けます。
反り腰の人は、基本的に足を抑えてもらわないと上体起こし(腹筋)が出来ません。
腰が丸くならないから、重心が上半身にあるので足が浮いてしまうからです。
一般的に常識とされていることの中にも、おかしなことは沢山あるのに、多くの人は無批判に受け入れてしまいます。
指が反るとか反らないとか、個性の1つでしかないのです。
これが普通と、何かの基準を作ってしまうと、それから外れている人は病気とか、異常などと言われてしまうのです。
整体の世界でも、ゆがみを悪いものかのように扱う人がいますが、ゆがみは悪いものでしょうか?
歪みのない人はいないし、利き手利き脚があれば、左右均等な身体にはなるわけがないのです。
それなのに、さも歪みは悪いように言うのです。
こうでないといけない。
こういう考え方はとても窮屈です。
窮屈な考え方に反発できない人は、窮屈な枠に自分も無理やりハマろうとし、自由にしている人を攻撃し始めるのです。
子供はお母さんに怒られると、同じことをやっている人を見かけると、お母さんと同じ口調で注意し始めます。
我慢していると、我慢していない人が許せなくなるのです。
こうあるべし、をどんどん減らしていくことが、人として丸くなるという事。
個性は面白みです。
人と違うことを楽しむ余裕が出来れば、人に厳しくなる必要が無くなります。
ゆがんでもいい。
人と違ってもいい。
誰かに何かをダメ出しされたときは、そのダメを解消するための何かを売り込まれそうになっていないか、注意が必要なのです。
ひげの濃い男はモテない。
身長の低い男はモテない。
そんな雑誌の裏の広告は、ひげ脱毛の広告であり、身長を伸ばす器機の広告だったのです。
他人のコンプレックスを刺激して、商品やサービスを売りつけようとする会社やお店を、私は軽蔑しています。
血圧はこの数値より高いと危ないと言って、薬を飲ませようとしますが、一昔前までは基準値が全然違ったのです。
その基準値を下げたからと言って、病気になる人が減ったりはしていないのです。