人は幸せになる義務がある
私は整体の仕事をしながら、世の中を俯瞰してみる癖があります。
いろんな現象を目の当たりにして、タイトルのようなことを思うのです。
人は不幸になると、他人にまで影響を及ぼすようになります。
学生さんが部活で上級生にいじめられると、後輩が出来た時に同じようにいじめることで、いじめの連鎖が起きたりします。
子供の頃に厳しく育てられた人は子供にも厳しく当たりやすくなります。
我慢をしている人は、他人が自由にやっていることを許せなくなります。
整体を受けに来る人の大半は、肩こり腰痛です。
私に言わせれば、肩こりや腰痛は生き方の結果です。
ちゃんとしようとして、自分に厳しくしていると肩こりや腰痛から逃れられなくなるのです。
気遣いや我慢が多くなると肩こりは酷くなるし、出来ない人には価値が無いと思って、出来る人間になろうと頑張りすぎると腰痛になります。
ダメな自分を受け入れられない人は、ダメな他人も受け入れられないのです。
誰かを許さないというのは、自分を許さないということにつながります。
他人から嫌われないように必死で生きている人は、自由に生きることを許可できないのです。
だから、常に他人の評価に怯え、自分の意思を押し殺し、窮屈に生きていくのです。
そんな人が他人に優しくなれるでしょうか。
人がどう思うかよりも、自分がどう思うかの方が大事なのです。
原因不明の体調不良に苦しんでいる人は、まずは自分らしく生きられているか、見直す必要があるのです。
自分に優しくすることくらいいいじゃないですか。
一度きりの人生です。
自分の幸せを追求した結果、他人を幸せにすることに行き着くのです。
嫌われる勇気という書籍では、嫌われる覚悟を持てと説かれます。
しかし、同時に、幸せになりなさいということを説かれるのです。
人は生まれながらに社会的な生物です。
社会から孤立して生きられるほど強くないのです。
だから、社会で貢献できることが、幸せにつながり、自分の幸せを追求すれば社会の幸せにつながると言われているのです。
体調不良は自分らしく生きれていないんじゃないか?と自分と向き合うためのきっかけに過ぎないと私は思うのです。
施術で乗り越えられる痛みは施術で乗り越えたらいいけど、それで乗り越えられないのなら、自分と向き合ってみたらいいと思うのです。
人間万事塞翁が馬です。
体調不良も、人生において大事なターニングポイントになると思います。
私の怪我も実際に、ターニングポイントになりました。
怪我が活かされたのは怪我をしてから10年以上経ってからでしたが。
でも、怪我の後の10年も、無駄にはなっていないと感じます。