心因性の痛みはあるけど、多くの人は納得しない
腰痛は生き方の結果の痛み。
私はよくそんな表現をします。
腰痛のすべてとは言わないけれど、大部分は、生き方の結果だと私は思っています。
交通事故とか物理的な損傷も一部はあるかもしれませんが、物理的な損傷であればある程度の時間の経過で良くなるし、治らない物理的な痛みであれば、特定の動作はいつも痛いということになると思います。
調子の良し悪しがあるのなら、物理的な問題ではないのです。
ひざをぶつけて擦りむいた痛みは、一定の法則で痛みが出るし、回復の程度によって痛みは大体一定なのです。
擦りむいた膝がある一日だけ綺麗になっているなんてことはないのです。
こちらのリンクは読書の感想です。
私は腰痛持ちの人には、「人生を変える幸せの腰痛学校」をお勧めすることが多いです。
しかし、人によっては小説は何とでも書けるから、と読む気にならない人もいるかもしれません。
その点「椅子がこわい」はドキュメンタリ―です。
人は「あなたはこうだ」と決めつけられるように言われると、反発心が生まれますが、「私はこうだった」と言われると、そうなのね、としか言いようがなくなります。
そういう意味では、椅子がこわいは良くなった人の、タダのドキュメンタリ―なので抵抗が少ないのかもしれません。
腰痛学校は、もう少しあなたの腰痛を何とかするお手伝いをしたいという干渉があるかもしれません。
どちらにしても、読み手の方が腰痛から解放されていたりするので、読んでみるくらいしてもいいんじゃないかなと思うのです。
手術は一度やれば元には戻せません。
読書は、金銭的にも肉体的にも負担が少ないです。
痛みの説明をしてもらう時に、この動きが痛いというものを確認するのですが、時々ストーリーを語る方がいらっしゃるのです。
そんな時、私は心因性も混ざっているかもしれないなと思うのです。
この痛み辛さ、分かってほしいというメッセージだからです。
私からすると、痛みは
「怖がらなくていい、大したことないんだから手放して笑い飛ばしてしまいましょう。」
というスタンスなので、痛さ辛さをことさら大きく話すのは逆効果だなと思ってしまうのです。
辛さを分かってほしいがあると、分かってもらうために痛みが手放せなくなるのです。