無駄な努力はしたくない
無駄な努力はしたくないってタイトルに書くと、なんだか傲慢な印象を受けますね。
そして、私自身、人生に無駄なことなど起きはしないという言葉も好んでいます。
人生に無駄なことが起きないなら、無駄だと思われることにも意味があるのでは?ということになりますね。
学びという意味では無駄なことはないのかもしれないけど、無駄な努力だったと学ぶことが出来れば、その後も無駄なことをし続けたのでは学んでいないことと同じになるんですよね。
知行合一という言葉があります。
知っているのに、行動が変わらないのでは、知らないことと同じことと言う意味。
行いが変わらないとダメだという事。
私は整体の仕事をするようになり、失敗も成功も色々体験してきました。
そして、自分自身で学んできたことが色々あり、その結果今があります。
その結果、私は自分だったらこういう施術は受けたくないなと思う施術は行わないようにしました。
私は整体で肩こりや腰痛は治らないと思っているので、施術を行うことをやめました。
それは肩こり腰痛で施術を受けている人を否定しているわけではありません。
施術を受けることで楽になるのだから、受けること自体は悪いことではないのです。
ただ、私は治ってほしいと思うから、施術を行うことをやめるのです。
その場しのぎは大事だけど、その場しのぎであることに気付かない人に施術をすることはいかがなものかと思うのです。
気付いてもらうために、施術をしないということも大事だと私は思うのです。
私は施術を行う時などにマスクをしないのも、理由があってです。
冬になってきて、マスクを着ける人は増えてきましたが、私は無症状でマスクを着けることは健全なことだと思わないので着けません。
私が風邪気味だと思えばつけます。
しかし、何もないのにマスクを着けるのは、感染症が流行している時期に、マスクを着けないのは良くないことと言う無言の圧力をかけることになると思うのでやりません。
感染症は、検査をしなければ、無症状の人でもウイルス感染していることがあります。
無症状でもウイルスに感染するのであれば、発症するのは本人の抵抗力の問題なのです。
空気を通して媒介しているのであれば、誰の責任ということはないのです。
私は無駄なことはしたくないし、無駄なことをし続けるのは負の遺産を他の人に渡すことになると思うのです。
無駄だと気付いたなら、気付いた人からやめないといけないのです。
たとえ非難されたとしても。
常識に抗う人は常に異端として虐げられてきました。
しかし、常識に抗う人がいなければ、常識が置き換わることもなかったのです。
私はささやかでも抵抗をしたい。
それが、私が今世に生きている証なのです。

