心配しない
育ってきた環境が違うから、好き嫌いはいなめない
いやー、整体の仕事をしていると、いろんな人とお話する機会があるので、人間模様もたくさん見れて面白い。
スマップの歌詞のように、好き嫌いの違いは当たり前にあるし、もっともっといろんなとこに違いがある。
わが島本家は、いろいろと普通じゃないと思うこともあるんだけど、大人になってから姉弟で話して気づいたことが、これ。
「お母さんに、大丈夫?って聞かれたことないよね。」
これ、大人になってから気づいた驚き。
母親は決してネグレクトのように、子供の面倒を見なかったわけではないのです。
ただ、大丈夫?と聞かれたことがないのです。
それを大人になってから、姉が母親にその話をしたそうなのですが、母親としての言い分は、
「大丈夫じゃないときは言葉も話せないだろうし、何か辛いとか痛いとかあったら、自分で言うから聞かなくていいかな?
心配したところで、専門家じゃないから聞いても分からないし」
的なことを言ってたそうで、なるほど!と(笑)
そういうわけで、母親から余計な心配をされずに育ったから(心配してないのではなく、干渉されなかっただけ)、何とかなる、という成功体験をたくさんすることができたのだと思います。
よく聞く反抗期って、母親の心配が結構かかわってる気がする。
大丈夫? あれやった? ちゃんと考えてるの?
そういうのを聞かれることで、うるさいなぁ!っていうのが反抗期だと思うのです。
私はそういう心配をされていなかったので、うるさいなぁ!っていうチャンスがなかったのです(笑)
支配とか監視から独立するための反抗期。
支配や監視がなければ、反抗することもない。
心配するって、優しさでもあるけど、その人を信頼してなかったり、その人の未来を信頼していないようなもの。
その人が不幸になると信じているようなもの。
私が思うようにしないと、あなたは不幸になるよ、と言っているようなもの。
本当に小さい子供なんかは、きちんと親が気をつけないと危ない場面もたくさんあると思うけど、だんだんと大きくなってきたら、この人は自分で考えて動けると信じてあげることも優しさですよね。
まぁ実際のところ、自分が不安だから人のことも心配するだけなのかな?
人間万事塞翁が馬
ケセラセラ