事故の後の痛みが良くなりにくい理由
痛みと心の関係は切っても切れない。
完全に肉体に問題がある痛みですら、心の状態で感じ方が変わってしまいます。
自分の不注意でぶつけたケガと、他人の不注意でぶつけられたケガ。
たぶん同じ衝撃でも、痛いなぁと感じる頻度や程度が変わります。
交通事故とか、誰かの過失によって怪我をした場合、被害者意識が強いと治りにくくなるのです。
そこには、相手を責める気持ちがあり、こちらの痛みがなくなれば、相手を責める道具もなくなる、というのもあるのです。
こちらの状態が悲惨であればあるほど、相手に罪の意識を与えやすい(と思っている)。
そこに加えて保険などの補償の問題も関わってくるから余計に治りにくい。
そして、その保険で治療をしている、病院や整骨院はその恩恵を受けるから、短期間で治療を終わらせることはない。
だから、こういう痛みはなくなりにくいのです。
『物理的衝撃による、肉体の故障
加害者に対する怒りの感情
保険受給の都合
医療機関の都合(保険会社が払うから、通えるだけ通わせる・高額な検査・術式)
医療機関等によるケガ情報の誤った説明(長期化するとか、動かしてはいけない等)
不安、不動による、さらなる肉体への二次災害』
感情が収まってる人なら、良くなるために必要なことがシンプルに伝わるのに、感情が落ち着いてない人には、言葉が届かない。
そればかりか、心因性とか心理的に、みたいな話が出た時点で、
「心の問題にされた!本当に痛いのに、疑われた!」
みたいになりやすい。
逆恨みもされやすいから、医療機関とかなら絶対言わない。
痛いということを疑っているのではないんです。
線維筋痛症と呼ばれる激痛がする病気も、心因性と呼ばれるのです。
ただ、肉体的に原因がないとか、肉体的な原因もあっても、治りを悪くさせる要因を解除しないと、回復に向かわないことが良くあるのです。
だから、これを伝えるまでに、信頼関係をいかに築くか、も大切なことになる。
がしかし、これがまた難しい。
整体で信頼関係を築くのも一朝一夕ではうまくいかない。
となると長く通ってもらって、ようやく。
と言うことになる。
でも痛みが変化しないのに長く通ってもらうことの是非はどうなのか。
そして、信頼関係を築こうとしても、痛みに変化がなければ、途中でやめてしまったりします。
こういうさまざまな角度から考えて、人助けというのは大変難しいことである。
しかし、難しいからこそ伝えられた時には喜びも大きいものとなります。
タイミングというのもある。
だから、施術を受けて良くなってくれた人にはありがとう。
と思う。
来てもらってる人にもありがとう。
と思う。
残念ながら私が力になれなかった人も、いつかそのタイミングが来て良くなってくれたらいいなと思います。
痛みと心の関係は、事故による被害者だけではなく、まだまだいろんな要素があるので、一例です。
ただ、そういう可能性がある方には知ってていただきたいなと思います。
たぶん被害者になってからでは、受け入れがたい話になるので、そうなる前に知っててもらうといいのではないかなと思います。
ご自身のために、被害者意識を早めに手放せたら良いなと思います。
中島みゆきの歌の一節
「憎むことでいつまでも あいつに縛られないで」