人体は複雑
人の体って本当に不思議です。
手首専門で私は整体をやっているので、並の整体師とは比べられたくないくらい、手首の痛みに対しては、知識経験ともに自信がついております。
がしかし、やっぱり解決できる痛みばかりではない。
先日もまた久しぶりに効果を出せない方がいらっしゃいました。
筋肉を触って変化はしてるような感じはあるのに、効いていると言えるような変化にはならない。
私が施術の効果を出せないと言っても、その方が良くならないということではない。
そもそも、もう少し安静にしていたら時間が解決する痛みの可能性もある。(ちょっと確認漏れで、その方は痛めてまだ2日くらいだった)
その方も自分の手が良くならないと困る!という状態でした。
自分がやらなきゃ!という状況の時、時と場合によっては、自分でやらないようにさせるために問題が起きる事もある、と私は思っています。
無理してることに気づくための痛み。
周りの人に頼らせるための痛み。
他の選択肢に気付くための痛み。
人に起こる現象は、すべて意味があるという考え方があります。
辛い思いをしないと、人の辛さをわかってあげられない。
挫折を知らなければ、失敗を知らない傲慢な人間になってしまう。
痛みがなければ、無理してることに気づかない。
仕事を部下に任せなければ、部下の能力は上がらない。
自分がやらなきゃ誰がやる!って言う状況は程度によっては自分の存在価値を感じられて、幸せだったりします。
でも人に任せるとか、そこまでやらなくてもいいということに気づかなければ、知らず知らずのうちに自分を追い込んで行って、のちのち余裕がなくなる可能性もあります。
余裕がなくなって問題が起きる前に、痛みが出ることによって、他の選択肢を探しなさいと教えてくれる事もあると思うのです。
でも、私がこう思うのって、はたから見ると、いいわけに思われる事もあると思います。
施術が効かない時に、自分の技量のなさを棚に上げて、他の原因を持ってこようとしてる、というように。
もちろん私の技術不足の可能性もゼロではない。
でも、私がすべての痛みを取ることができるということはない。
私は神ではないので、人の人生を支配することはできない。
もし、私がすべての手首の痛みで困ってる人を助けることができるなら、手首を痛めた人の人生の鍵を私が握っていることになる。
治りたければ、私の機嫌を損ねないように。
と、私が教祖のように狂ってしまうことでしょう。
なんでも筋肉で解決すると思い込むと、人を巻き込んで迷惑をかけることになると、私は思ってます。
なんでも背骨の歪みのせいだと考えて、症状が良くなるまで、ずっと整体に通わせてしまうような、そんな人に私はなりたくない。
なので、筋肉のケアで良くなりそうと思えない時は、私は余計なアドバイスをする事もあるかもしれません。
でもそんな時、サジを投げられたなどと思わずに、勧められた書籍に目を通すなどして、別な視点で痛みとも向き合ってもらいたいと思います。
施術が効かなくても筋肉のケアで良くなると言い続けたほうが、整体師としては繁盛するのです。
すぐには筋肉が変化しない事もあるから、変化する時が来るまで、それまで頑張りましょう!と言えば良いのですから。